【雑記】幸せの定義とか、悲しみの置き場とか。
タイトルと内容は、合っているような合っていないような。今だ「天体観測」を聞けないでいる神威です。こんばんは。
唐突な話ですが。少しでも事に首を突っ込んでしまったら、最後まで見届けないといられない性格なのが影響しているためか、物事が起こった時に真っ先に魯粛ポジションになるのが私です。
簡単に言うと、「渦中の二人のどちらかを早々に切り捨てる」という選択肢を選ぶことがとても苦手なため、どちらの擁護にも徹してしまうタイプということです。(魯粛はそんな優柔不断な人ではないけれども)
二人の内どちらかが問題になっている場合は簡単なのですが、二人とも正当な意見がある場合は極めて難しいです。
難しいのですが、気が付いたら擁護にまわっているため、本人は半ば仕方ないと割り切り始めました。考えすぎても、疲れてしまうので。
※今回のことは、おそらく私の今後に直接関わってくることではないであろうことなので、ご心配なく。(For 以前ニセ魯粛にお付き合いして下さった方々)
最近の一件の中で、とある方から「貴方はどう考えます?」という質問を受けたため、自論を語ろうかなと思った次第です。
※以下は私の考え方なので、すべて正しいというわけではありません。あくまでも一個人の考えです。
「幸せ」とは何か。
とても大きな議題ですが、考えていきます。
私なりの幸せというのは
「内容に対して、笑顔になれること」
ざっくり言うとこうです。例えば
・美味しいものを食べることができた!
・恋人ができた!
・欲しい物を買うことができた!
・新しい友達が増えた!
・友人が結婚した!
・母の誕生日でみんなで旅行に行った! など。
「楽しい」と違うのは、物理的にも精神的にも「長く続いていく」という点かな。「なんで楽しいことはすぐ終わっちゃうんだろう」と、どこかのラッコさんも言っております。楽しいことは、ずっと続くというわけではない、と。
しかし、幸せは長く続く。
では、「幸せ=笑顔になれる」という点で話を進めます。
「笑顔になれる」というのはとても大事。笑顔は人を幸せにするとも言われているほど、特別な表情です。(苦笑いや不敵な笑みというとニュアンスは変わってきますが…汗)
また、誰しも、悲しい時・辛い時に本当の笑顔はできないはず。余りの悲しさ・辛さでネジが外れて泣き笑いが止まらなくなることもありますが、あれは笑顔とはかけ離れているので違います。(実体験あり)
本当の笑顔とは、心から嬉しい・楽しいと感じた時にしか表に出ないものだと、私は考えています。作り笑いなら表面上だけ笑って取り繕うことができますが、これも違うかな。
心から嬉しい・楽しいと感じる
これが本当の笑顔の源ではないでしょうか。
笑顔という動作を通して、
「幸せ=心から嬉しい・楽しいと感じる」
とまとめます。
ざっくりとしすぎた大意だと、これが答えになるかな。(全然答えになってないYO!という場合は、お手数ですがまたご連絡くださいませm(_ _)m)
とにかく、笑ってすごす1日を重ねていけば、自然に幸せになっていく・幸せを掴むことができるのではないかな。
逆に、しかめっ面ばかりして1日をすごしていると、幸せは逃げていきます。例え今は辛くても、人生はものすごく長いです。今悩んだり苦しんだりしていることは、人生で言えば本当に一瞬。ちょっとしたスパイスだと思っていきましょう。
どーーーしても割り切れないこともあるけど、解決に「時間」が必要な場合も多々ありますから、焦って余計泥沼にはまらないように。
そして、あまりしかめっ面ばかりしていると、心が荒んでしまいますからね。笑顔を忘れないようにすごしてくださいませ。
…と、実体験からの感覚も含めて記述いたしました。
いかがでしょうか?